艱難汝を玉にす

幕末の思想家、山岡鉄舟曰く
「筆を持っている意識で描く画は、死んでいる。
自分と筆が一体となり、手に持つ筆を忘れている間に描く画は、生きている」と。

プロのナレーターも同じ。
「文字を読む意識で発する声は、死んでいる。
自分と文字が一体となり、文字であることを忘れている間に発する声は、生きている」といえる。

 

よく、自分の天職がわからない、という人がいる。
何かを始める前から、自分の天職を探すから、わからないのは、当然のこと。

1.自分なりに何かに没頭してみる
2.それを努力してみる
3.それを継続してみる

その先に、天職はある。

 

自分の負の思いを、撒き散らす人がいる。
その行為は、誰でもいいから自分と同じ負の思いにさせたい、という行為。
人は弱いから、他の誰かに知ってもらいたい、はわかるも、傍迷惑。

ただ、他人は、受け取らなければ、全て発した本人に返る。
ストレスを発散し、他人に迷惑を掛け、挙句自分を貶める、それが負の思いを撒き散らす行為。

故に、その周りにいる他人は、もう振り回される必要はない。
自分の良い考え、良い笑顔、良い心を、もう崩す必要はない。

今は、どんなに違うと思うことも、他人に合わせなければいけない時代では、ない。
相手が間違っていると思うことは、相手のためにも、言葉の過不足なく、間違っていると言っていい。
それが分からない相手ならば、少し距離を置けばいい。正しいと思うことを、言い合える仲でなければ、不幸だ。

 

好きにも、限界がある。
というのであれば
好きを、向上させればいい。

 

人生とは、愛情を注ぐことである。
それが、愛されることである。

愛されたい、愛されたい、と言っている人は
人に愛情を注いでいない。

 

真に、他人を傷つけないのは、愛だ。
愛のない言葉は、どんなに優しくても、他人を包むことは、しない。
愛があれば、厳しい言葉も、必然。
厳しいかどうかは、受け止める側の問題。
己のステージが上がれば、その心境も変化する。

 

さて、最近あったいろんなお話。
メールのやり取りを何度も繰り返した後、1ヶ月後の面接予約も
当日朝になって、理由なくドタキャン。その方は「ご縁がありましたらまたよろしくお願いします」と。
他人のことを考えられない方だったようだ。ご縁の使い方もまるで違う。ご縁は自分でつくるものである。

「お力添えを頂き誠にありがとうございます」とは、力を借りた側が言う言葉。
力を貸す側が「お力添えできることがございましたらお願いします」は、まるで違う。
自分の力、いつでも貸すよ?みたいな上からのニュアンスになる。変な言い回し。変な日本語。これも若い人に多い。

スクールや講座の料金は基本振込。だから振込の場合は、通常、領収書を発行しない。
しかし領収書がほしいと仰る方が、たまにおられる。そんな方のために領収書を用意している。
しかしある方が「領収書が高価じゃない。領収書に代表者の名前がない。うちの会社はちゃんとしてる。
おたくの会社怪しいんじゃない?」と、有無を言わさず、ひとりキレて帰った方がいらした。
料金は領収書の料金ではないし、領収書に代表者の名前を書くのは一般的ではない。
その方は、スクールの資料も「料金出したので」と、受ける気もないのに持ち帰った。
個別相談の料金は、領収書や資料代ではなく相談料。個人の価値観は、他人に押し付けないほうがいい。

事務所には毎日、クライアント様から、いろんな案件が入ってくる。
それを、対応可能な人材に、振り分けるのが、事務所のマネージメントという、仕事のひとつである。
しかし、先日、スクール個別相談にお越しの方が、「全部の案件を回してくれるんですよね?」と当然のように仰った。
当然、該当しない人に案件を回すことはない。そこに何の意味があるのか?守秘義務の違反にも繋がる。素人考えは怖い。

面接の場面、いろんな経験のある方は、自分でできることならなんでもさせてもらいたい、と仰って登録される。
しかし、いろんな経験のある方でも、仕事のジャンルをひとつだけに限定される方も。ナレーターだけしたい、など。
でも、そのような方に限って、得意なジャンルが違ったり、ナレーターの経歴が乏しかったり、スキルが普通だったり、する。

仕事を限定する人は、自分を知らないし、知ろうともしないからか、躍動が感じられず、なかなか仕事に恵まれない。
仕事を限定しない人は、自分を知りたくて知りたくて、わくわくしていて、とても魅力があり、たくさんの仕事に恵まれる。
そんな傾向にある。運のある人と、運のない人の、違い、ともいえる。運も実力のうち。

 

わたしは20代のころ、10校以上のナレータースクールに通い、ご縁のあったプロダクションに入って、来る仕事を何でもした。
とはいえ、それだけ習いに行ったスクールも、ほとんどのところは、2~3回で行くのをやめた。何百万も出しけど、訳分からず、続かなかった。
仕事は、TVのリポーター、MC、ナレーター、パーソナリティー、司会と何でも。なぜか自分ができることが嬉しくて、楽しくて、わくわくしてやっていた。
しかし、今振り返ると、私はドへたくそだった。超我流だった。もっと私の改善すべき点を、見つけて指摘してくれる人がいたら、ちゃんと上手くなってたのに
と思った。自分のアホさ加減はさて置きですよ。艱難辛苦に恵まれた私は、うまくいかない人の気持ちがわかるし、上手だと調子に乗ってる人の気持ちも、わかる。
だからどんな段階の人の喋りも、今のレベルから、素晴らしい点、癖や、改善したほうが良い点、その練習方法など、全てがわかる。

もちろん今も研究は続いている。あ、あの人、この練習方法のほうがいいんじゃないの?この考えが、上達を妨げているんじゃないの?と
日々、新しいものが降りてくるので、常にアドバイスを、彼らの角度に合わせるべく、更新している。もっと何かあるんじゃないか、
他に方法があるんじゃないか?という欲が止まらない。私が欲しかったことを人にして差し上げて、昔の自分が、時間差で満足しているようにも思う。

 

艱難汝を玉にす
人間万事塞翁が馬

嫌な人との接触ほど、良い刺激となり、人を成長させる。
人は刺激がないと、退化するもの。何が人に幸せを運ぶかなんて、わからない。
そんなことを考える暇があれば、目の前のことに没頭することに、全力で楽しむべきだ。